ちいさい頃から、ケモノのような性格でした。

お母さんごっこ(おままごと)をしても、いつも犬の役がやりたかったこどもでした。

いい役を取り合うのが嫌いで、人とけんかするのが嫌いな、臆病な犬のような子どもでした。

お兄ちゃんと一緒にバイオリンをずっと習っていて、音楽が大好きで、絵は描くのは好きでしたが、音楽の方にのめり込んでいました。

9歳のときはじめて飼った犬が、わずか一ヶ月で死んでしまい、動物のお医者さんになろうと決意、それから勉強をして、理数系を選択し、獣医の道に進もうと心に決めていました。

1995年1月に、実家が阪神大震災にあい、お兄ちゃんも私も途方に暮れました。

地震で会社も家もなくなるひとや、安楽死させられる動物たちを見て、なにか腕一本で人の力になる、腕一本で自立ができる、

そんな生き方をしないとだめだと心底思いました。

動物を、真の意味で救えるのは、医学ももちろんですが、人の心を動かすこと。

動物たちの目の前にある震えるくらい美しいその姿を、たくさんの人に伝えることができたら、

自然を壊す戦争や人間本意な贅沢な暮らしも、なくなるんじゃないか。

そんな事を考えました。

そんなとき、我が家の一本の小さなクスノキに、ぶらんぶらんと揺れながら、大地震に負けずにくっついていたミノムシを発見。

自然の力はなんてすごいんだ!

ぶらんぶらんと揺られながも、いたって平気なミノムシ。

それに比べて私たちは、家を失い、怪我をし、財産を失い、仕事を失い、

もしかしたら、地震の前後で、変わらず持ち続けていられるものだけが、私の本当の財産なんだと、

小さなミノムシを見ていて感じました。そんな美しい目の前のミノムシを、ずっとずっととどめておきたい、とおもい、

祈るような気持ちで、絵を描きました。

自分の鍛えた手と、鍛えた目があれば、できる美術。ミノムシの神様に誓って、それから180度回転した、美術の人生が、始まりました。

そこから15年、美術とともに生きてきました。

その道は、もしかしたら勉強で進学するよりもあてのない、途方もなく険しい長いケモノミチ。

もうだめなんじゃないか、美術を仕事にして生きて行くなんて不可能じゃないか。なんども井戸の底で這い上がれない亀のような気持ちになりました。

だけどお兄ちゃんが、一足先に音楽でプロになり、私にいいました。

「一本にしたら、なんとかなるよ。」

アルバイトをしながらかろうじて作品を作っていた私ですが、その言葉を胸に、死ぬ覚悟でアルバイトをやめ、美術一本で生きて行く事を決めました。

一本にしたら、何とかなるんじゃなくて、なんとかしなくちゃいけない、作品に重みが加わり、仕事に真の真剣さが加わり、死ぬ気でひとつの仕事に望むちからを、学ぶことができました。

今もまだ手探りであてのない道ですが、美術とともに生き、美術とともに死のう、

彫刻、という人類が生み出した最高の美術を、すこしでも、日々一刀一刀でも、続けて行こう。

今はそんな気持ちでいっぱいです。

 

 

2010年 はしもとみお